稽古場レビュー|『花をそだてるように、ほんとうをそだてています。』
ひとごと。の創作には、作り手たちの身体の等身大の実感に基づきながら、その身体のあり方を規定し振り付ける社会のあり方を冷静に分析していくという特徴があった。以前関わらせてもらった2つの作品について振り返ってみたい。満員電車を題材にした『そこに立つ』は、今の日本社会、特に東京で、周りの状況や他人に関して無感覚になっていく身体の状態を扱っていた。世界中の事件や紛争や災害との距離を扱った『互いに交わることのない、いくつかの』では、遠く離れたところに確かに存在する、理解も想像も難しい様々な出来事に、今ここの身体がどう応答できるのかを考えていた。今ここの自分の無感覚を感じ、その延長線上にある、遠くの知らない誰かに対する無感覚と、そこから生じる無関心を認識する。共通していたのは、どんどん人間を侵食していく無感覚と無関心に、自分の身体でどう向き合うのか、という問いだと思う。
今回の『花をそだてるように、ほんとうをそだてています。』の稽古場に行って感じたのは、創作におけるベースが「(大人の)無関心」から、「(子どもの)関心」に移っているということだった。稽古では、「アルガママ」「イッパイイッパイ」「ドッチデモナイ」「フタシカ」というキャラクターについて子どもたちが描いた物語(絵も多い)に基づいて、構成・振付の山下さんと演者のみなさんが振付を考えていた。物語に書き込まれた子どもたちの自由な言葉とイメージは、極彩色で、いろんな方向に伸び縮みしている。わたしのような「大人」の理屈と効率を重んじる普段の考え方では、ウナギのようにつるつる滑ってつかめない。感覚をひらいて、相手のモードにまず合わせないといけない。演者たちは、この躍動するイメージを各々自分の身体で受け止めて、動きを生み出していく。みんなマジメに集中して振付を考えているが、出演者のみなさんの個性と子どもたちの個性的な言葉が組み合わさって、へんてこりんな動きがいくつも生まれていた。いい意味である。念のため。すばしっこい感じ、のっそりした感じ、どーんと構えた感じ、シャキシャキヌルヌルした感じ、ちょっとアンニュイだけど力強い感じ、ゆるゆるしてるけど一生懸命な感じ、などなど。それぞれの身体の個性が、自由な子どもの言葉とイメージを得て、いきいきとうごめく。おもちゃの遊び方を試行錯誤して、動き回っている子どもみたいだ。普段自分で決めつけてしまっている、ここではこう動くという無意識の制約とは違う動き。この稽古場で作られている振付もまた制約には違いないが、自分で意識的に決めて納得して動くという点で大きく異なる。自分ルールを作るというのはまさしく遊びだ。なにより楽しそうなのが見ていてよかった。
なんじゃこりゃというへんてこりんなものをビリビリと感じて、前のめりにおもしろがる。そして反応するがままに身体を動かしてみる。そういうことがダンスなのであれば、ダンスっていいじゃん!と思う。マスクの内側で言葉をとどめて、家の中で動かなくなって、無感覚と無関心でカチコチになってしまわないように、わたしもダンスして自分をかき回したい。
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執筆者:朴 建雄
1991年生まれ。上演芸術の企画制作・創作過程・観客受容が必然的に孕む様々なあわいで生じうる贈与の活性化と、 知性と感性の往復運動としての空間・身体表現の記述に関心を持ち、主にドラマトゥルクとして様々な上演芸術の製作に関わる。
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